野中香織の実験「味覚観察」の記録

はじめに

「嘘」と「本当」は相反するもので全く別のものだと思っていた。嘘は悪で本当は善だと思い込んでいた。でも人のためにつく嘘もあれば、振りかざす正義が武器になることもある。

次第にそれらは2つに分けられるものではないのかもしれないということがわかってきた。

言われてみれば世の中の事象はどちらか一方だけに分類できるものではなく、Aのこの部分は取り入れつつ、Bのこの部分の意見にも賛成。などというようなことは多い。

この実験では、一つの事実から本当や嘘になるまでの過程のグラデーションを可視化しようとしたところからはじまった。どこからが嘘で、どこまでが本当なのかを観察したかったのだ。でもそのための方法をみだせないまま、単に「人が嘘をつく様子」の観察を経て、最終的には実験者である私自身が嘘をつき続けるという結果になってしまった。

以下にその過程を紹介する。

はじめての実験

目は口ほどにモノを言うのか?という問いから始まった、はじめての実験づくり。

当時、マスクをしている状態でのコミュニケーションに危機を感じ、職場の子どもたちと接するときは極力、顔面上部の筋肉をフルに動かすことや眼力によってコチラの情報を伝えるようにしていた。

そんな時、目が笑ってないという表現があるように、案外口元だけで省エネの表情をつくり出しコミュニケーションをとっていることもあると気が付いた。そこで口元の表情のバリエーションを試そうとしたが、どうしても目じりの皺や眉の筋肉が動いてしまうため口元だけで表情をつくることが難しいということが分かった。

そこで、マスクをした状態でどれくらいの情報が相手に伝わるのかを知るための実験をつくることにした。

この実験は、誰がどのカードを選んだかを当てるという内容で、それを探り合う過程では他の参加者に嘘をついてもいいし、本当のことを言っても良い。というルールだった。

ある程度どのカードが誰のであるかの推測が付いた終盤、ある参加者Aが見事にその場の全員を欺き、大どんでん返しが起こった。参加者Aが参加者Bのカードを揺るぎもなく「私のカード」だと断言した際、Bは動揺を隠しきれなかったのだ。Bのその一瞬の動揺を見抜いたAによってその場は完全に支配された結果、誰もが正確なカードを当てられなかった。この結果から、マスクをしているか否かはもはやなんの関係なく、単にAのコミュニケーション能力が長けていたにすぎなかったことが分かった。そしてそのスキルは悪でも善でもなく、ひとつの手段であるという事実だけが残った。

はじめての合意のでっち上げ

初めての実験から時が経ち、最終的な実験として形にしていく際、「合意のでっちあげ」に参加することになった。テーマは「事実」から「嘘」や「本当」に移行する際のグラデーション。事実というものが人に伝わる際、嘘や本当へと変化する間はグラデーションのようになっていて、ここからここまでは「嘘」とかここからここまでが「本当」とかいう風に簡単に切り分けられるものではなく、与えられる「情報」によって常に変化してくものではないか?という仮説を立てる。


実験『味覚観察』

方法:被験者は事前にミンツ(色のついた粒状の菓子)を口にし、その味の感想を付箋に記入する。以下1~3の情報を与える都度味を確認し、その変化も記入し、一人ずつその味をシェアする。

1.これは体調や気分によって味が変わります

2.これは人によって味が変わります

3.これは色によって味が変わります

おまけ

実はこれらには名前がついています。それぞれどの名前だと思いますか?

ラブレボリューション

メガギガエナジー

シャイニングスキニー

実験の結果:参加者の味の感想に影響を与えるための設定として、1~3の情報=嘘?を実験者である私がつき続けるということになった。

このあらかじめ準備した設定こそが不要だったのだろう

それさえなければ、他者の純粋な味の感想(与えられた情報)から影響を受けた感想を得られたかもしれない。

元々の事実+情報に影響を受けた主観=嘘なのか?

それはその人にとっては本当であるのかもしれない。

情報を伝える側も影響を与えるつもりはなく、情報を得た側も影響を受けている自覚はないのかもしれない。

(補足:記憶が定かではないが、「味の感想はそれぞれ本当かもしれないし、嘘かもしれないが、一粒食べた際の自分の主観も交えて、編集した感想を自分の意見として次に伝えてください。」と付け加えたかもしれない。)


まとめ

「嘘」は一見ネガティブなイメージだが、実際はポジティブな場面で活用することもあるし、きっと嘘をついたことがない人なんていないだろう。となると「本当って何?」ということにもなるわけで・・・

「これ食べると身体に良いらしいよ。」「●●さんのおススメだから間違いないよ。」「みんなやってるよ」そんなあやふやな「情報」に、いつの間にか人は「誘導」されていく。

嘘か本当かは、いつ、どの角度から切り取るのかで印象が変わる。

その印象はコンディションやシチュエーションによっても簡単に変化するということを私たちは知っている。本人は嘘をついているつもりがなくても、ある時点の他者からみたらそれは嘘になってしまうこともある。嘘も事実も本当も簡単に言い換えられる。

準備された嘘・とっさの嘘・信じ込んでいる嘘・守るための嘘・配慮や気遣い・その場しのぎ・単なる状況の変化による解釈の変化・・・

もしかしたら「嘘」とは最強のコミュニケーション術と言い換えることが出来るかもしれないし、「本当」とはテンポラリーで形がなくあやふやなものであると言えるかもしれない。

「本当を操作する」という技術があるのだとしたら、いや、きっとあるのだろう。

ならば、常に既成概念を疑ったり検討したりしながら自分自身で色々試して、自分なりの解釈を持ったうえで物事を判断することや、一度決めたことや選んだことを変更する勇気を持つことや、答えのない問いを続けていくことをやめない持久力だけはつけておきたい。

「合意のでっちあげ」に関する実験WS

ノーム・チョムスキー著「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」という本の中にある「合意のでっちあげ」という言葉をキーワードにした実験作りWSのホームページです。

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